新撰組で「鬼の副長」と呼ばれた土方歳三。
その土方歳三の末裔が、新撰組そして土方歳三の功績を伝えるための活動を現在もされています。
ここでは土方歳三の末裔と、その活動についてご紹介します。
子供がいなかった土方歳三
土方歳三は1835年5月5日、武蔵野国多摩郡石田村(現在の東京都日野市石田)で生まれました。
生家の土方家は農家ではありましたが、暮らしぶりはかなり豊かだったと伝えられています。
土方歳三は10人兄弟の末っ子と伝えられていますが、その6名は氏名がはっきりしていません。
歳三が生まれる直前に父が亡くなり、母も歳三が6歳のころに亡くなってしまいました。
長男・為次郎が盲目だったことから、歳三は次男・喜六、姉・佐藤のぶによって養育されたとされています。
姉ののぶの夫である佐藤彦五郎が天然理心流に入門していたことから、それを縁に土方歳三は道場に入門、後に試衛館道場の仲間たちと共に浪士組に参加することになります。
土方歳三は美男子で、女性関係も派手だったと伝えられていますが、生涯独身で子供もいません。
しかし兄弟が多かったことから、現在でも何人もの末裔がおられます。
土方歳三資料館館長・土方愛さん
土方愛さんは、土方歳三の兄・喜六(次男)の来孫(孫の孫の子)です。
その土方愛さんは、東京都日野市石田の土方歳三生地で「土方歳三資料館」を運営されています。
土方歳三資料館は平成6年5月11日、歳三の命日に開設されました。
土方愛さんの祖父母の時代から、全国から土方歳三の生家を見に来られる方に史料などを公開していたのが始まりとなり、初代館長は土方愛さんのお母様が務めていらっしゃいました。
そして平成24年からは土方愛さんが館長を引き継ぎ、月二回開館とするようになりました。
遺品というのはその価値によって、博物館に寄贈されたり倉に眠っていたりとバラバラに保管されるケースが多いのですが、土方愛さんは土方歳三の生きた証を生家に揃えて置くことが重要と語られています。
土方愛さんは、新撰組関係のフォーラムやテレビ番組出演、そして関連本の出版などを通して、現在でも新撰組・特に土方歳三の功績について語るという活動もされています。
土方歳三資料館
土方歳三資料館には、歳三の愛刀和泉守兼定や池田屋事件で使用した鎖帷子、八月十八日の政変の時に使用していた鉢金などをはじめ、句集や書簡など約70点あまりが期間限定ではありますが一般公開されています。
土方歳三が住んでいたころの土方家の模型が入り口付近に置かれ、その奥の隅に小さな小屋があり、そこで昔土方家が石田散薬を調合していました。
建物も土方歳三が住んでいた家は改築されましたが、武士になる夢をこめて手植えした矢竹や、往時をしのぶザクロや樫の木などの庭木が残っています。
また資料館入口には、歳三が幼いころ相撲の稽古をしたという当時の大黒柱が梁にあしらわれています。
また、近くには土方家の菩提寺である石田寺があり、そこには土方歳三の墓所があります。