京都での新撰組・土方歳三ゆかりの観光スポットとは?

新撰組が勇名をはせた京都、現在でも新撰組ゆかりの史跡が各地に残っています。

ここでは、京都に入った近藤勇や土方歳三たちの足跡をたどって巡る観光スポットをご紹介します。

新撰組の原点を訪ねる

幕末の京都で、京都市中の見回りと反幕府勢力を取り締まった新撰組。

その原点は江戸で浪士を募り、上洛したことから始まります。

江戸小石川の伝通院を発ち京都に就いた浪士組が寄宿したのは、京都の壬生でした。

現在の京都府中京区にある壬生には壬生寺という寺があり、その近くにある八木邸に浪士隊は屯所を構えることになります。

現在でも壬生寺には、粛清された芹沢鴨ら10名の隊士の墓と、近藤勇の碑があり、7月16日の池田屋事件の碑には隊士達の慰霊供養祭が行われています。

八木家には現在でも当時のままの建物が残っており、門前には八木家が営む和菓子屋があって、見学料を払うと抹茶をいただくことができます。

邸内には、土方歳三らが芹沢鴨を襲撃した時にできた刀傷や、芹沢鴨が逃げる時につまづいた文机も残っています。

何よりも新撰組の隊士達が暮らしていた空間がそのまま残されていることが、八木邸の一番の魅力です。

壬生寺と八木邸、ここは新撰組の原点を訪ねる一番のお勧めスポットです。

新撰組隊士達が遊んだ花街・島原

京都には「○○事件跡」のようなスポットがあちこちにあり、それを巡るのも興味深いものがありますが、ここではあえて新撰組の隊士達が遊んだ花街に残る新撰組関連の場所をご紹介します。

新撰組が屯所を構えた壬生村から、花街である島原まではほぼ1キロという近さ、この地理的条件のおかげで、新撰組の隊士達は花街・島原へ足しげく通うようになります。

島原にはいくつもの置屋・揚屋がありましたが、特に新撰組とゆかりの深いのが「輪違屋」「角屋」です。

輪違屋は現在も営業が続けられており、浅田次郎の小説の舞台となったことでも有名です。

また角屋は島原が開かれて以来、現存する唯一の揚屋として国の重要文化財に指定されました。

現在では「角屋もてなしの文化美術館」として一階のみ一般公開されています。

二階の座敷は、損傷部分の保存を考慮し、事前予約が必要な限定公開となっています。

当時のままの外装・内装だけでも文化的価値が高い角屋ですが、江戸時代中期の画家・円山応挙の襖絵などの美術品も残っています。

角屋の座敷には新撰組初代局長筆頭・芹沢鴨がここで暴れた時の刀傷が残っており、また粛正直前に酒宴を催していた部屋も現存することから、訪れてみる価値のある場所です。

また現在角屋保存を支援する人々の会の会員向けに、年二回江戸時代後期の衣装を着けた太夫による舞やお茶のお点前が披露されています。

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