土方歳三の剣術の流派は?本当に剣豪だったのか?

幕末の京都で最強の剣術集団といわれた新選組。

その新撰組で副長を務めていた土方歳三の流派は、そして剣術の腕はどうだったのかについてご説明します。

「実戦剣術」だった天然理心流

土方歳三の剣術の流派は、近藤勇が道場主を務める天然理心流です。

江戸幕府の統治によって平和な時代が長かった江戸時代には、「道場剣術」つまり危険防止のための防具をつけて竹刀で打ち合う稽古が主流でした。

しかし近藤勇の天然理心流は、他の道場の「道場剣術」ではなく、より実戦的な剣術を教えていました。

「道場剣術」と「実戦剣術」とでは大きな違いがあります。

実戦では基本的には軽い竹刀ではなく、重い刀(真剣)を使うことになります。

竹刀の重さが数百グラムなのに対して、真剣は数キロの重さになりますので、扱い方の基本から違ってくるのです。

また実戦は「始め!」で始めるものではなく、刀を携えて取っ組み合いの乱戦になる事も少なくありません。

天然理心流で剣法を学んだ土方歳三は、他の流派の剣術をも学んだと伝えられています。

また土方歳三の実戦の記録を見ると、羽織で相手を羽交い絞めした・砂を投げて目つぶしをしたなど、柔術などを駆使した喧嘩剣法に近い戦い方をしています。

普通の剣道道場での竹刀での打ち合いではなく、生きるか死ぬかの戦いですから、「型」などといってはいられません。

新撰組の戦闘では綺麗事のスポーツ剣術ではなく、あくまで相手を捕縛または斬る目的でした。

天然理心流の剣術を学んだ近藤勇や土方歳三ら新撰組は、実戦ではかなり卑怯ともみえる手を使ってでも、勝たなくてはならない状況だったと考えられます。

土方歳三の剣術の腕は?

天然理心流・試衛館道場出身、または他の流派の達人たちが集まっていたのが新撰組でした。

新撰組の中で誰が一番強かったのか?ということになると、沖田総司・永倉新八そして斎藤一らの名前が出てきますが、土方歳三が最強だったとは伝えられていません。

しかし、土方歳三は新撰組の前身である壬生浪士組のころから、たくさんの戦闘に参加しており、成果を残し生き残ってきました。

そして鳥羽・伏見の戦い以降は、前線で指揮をとって戦い続けています。

その頃にはもう刀の時代ではなくなっていたという側面はありますが、実際の戦闘では狭い場所での乱戦になる場合も多く、そうなると剣術や柔術が一番有効でした。

小隊を率いることが多かった土方歳三は、そういった乱戦に遭遇することも多かったと思われますし、土方歳三は彼の「喧嘩剣術」で勝ち残ってきたのではないかと考えられます。

土方歳三は、純粋に剣術の腕でいうのなら、新撰組の中で一番というわけではなかったかもしれません。

しかし、新撰組という組織をずっと統制して生き残った、そして実戦ではかなり強かったのではないかと推測されるのです。

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