新撰組は京都での活躍が有名ですが、東京にも土方歳三に関する史跡はいくつも残っています。
ここでは東京ので新撰組の土方歳三ゆかりの地を楽しめる、いくつかの観光スポットをご紹介します。
土方歳三資料館
平成6年5月11日、土方歳三の命日に開設されたこの資料館は、現在では土方歳三のご子孫である土方愛さんが館長を務められています。
この地は土方歳三の生地であり、全国から土方歳三の生家を訪ねる方々が多く、その方たちに遺品を公開する目的で作られました。
土方歳三の愛刀や鎖帷子などの武具や自筆の手紙などの展示、そして関連グッズの販売などもありますので、土方歳三ファンの方は一度は訪れたい場所となっています。
特に、土方歳三の愛刀である「和泉守兼定」の刀身が、命日前後など期間限定で公開されるのも見逃せないポイントです。
池田屋事件の時に使用した鎖帷子や8月18日の政変の時に使用した鉢金など、当時の傷もそのままに展示されているのも見どころです。
土方歳三が武士になるという大志を抱いて自ら植えたとされる矢竹や、土方歳三が親しんで育ったとされるザクロや樫など往時を偲ぶ庭木もそのまま残っています。
ここは個人運営のため会館日時にかなり制限がありますので、ご訪問の際は調べてから行かれることをお勧めします。
場所は、最寄り駅が多摩モノレール・万願寺駅から徒歩で5分程です。
土方歳三の墓・生地
土方歳三資料館から徒歩で行ける距離に、土方歳三のお墓のある石田寺(せきでんじ)があります。
土方歳三の遺体が見つからなかったことで遺骨は収められていませんが、ここが土方歳三の正式なお墓となっています。
土方家の菩提寺はこのあたりで格式が一番高い「高幡不動尊」で、この石田寺には土方家代々の墓所です。
土方歳三のお墓は、この石田寺の一角にひっそりと佇んでいます。
土方歳三が生まれた当時は、この石田寺の北側にある「稲荷森」の東後方に土方家の屋敷がありました。
そして12歳の時に多摩川の洪水で被害を受けて、母屋を解体し現在の場所へ引っ越したといわれています。
現在では住宅地となって見つかりにくい場所にありますが、狭いスペースながらも稲荷森後として残されています。
新撰組のふるさと歴史館
京都というイメージが濃い新撰組ですが、実は局長の近藤勇、土方歳三らは東京の多摩地区出身です。
新撰組に関するゆかりの地は、近藤勇が道場主を務め土方歳三らが門下生となって通った試衛館(しえいかん)など、東京23区内の各地に存在しますが、新撰組のルーツとなったのは東京の多摩地区です。
「新撰組のふるさと歴史館」は新撰組の誕生から終焉までの軌跡を追うように、新撰組のルーツから京都での活躍、そして解散までを通史的に扱う展示が常設されています。
また定期的に入れ替わる企画コーナーも設けられ、新撰組初心者の方からコアなファンの方まで楽しめる内容の展示となっています。
場所は、JR日野駅からバスで、または徒歩で行くことも可能な距離にあります。