土方歳三の不変の魅力とは?

新撰組「鬼の副長」土方歳三は、現在でも男女問わず高い人気を誇っています。

ここでは、なぜ土方歳三の人気が高いのか、その魅力はどこにあるのかを、様々な逸話からご紹介していきます。

最後まで戦い抜いた土方歳三

鳥羽・伏見の戦いの敗戦以後、旧幕府軍に属する新撰組は徐々に追い詰められていきました。

そして共に新撰組で活躍していた盟友たちも、徐々に離れて行ってしまいます。

一番の盟友である近藤勇も怪我で戦線離脱、土方歳三以下、一緒に戦うことができる新撰組出身の仲間の数も少なくなっていきました。

土方歳三は、近藤勇を流山の屯所に残し、北上しながら戦い続けます。

宇都宮・会津そして最期の地である函館まで、不利な状況の中戦い続けた土方歳三は、決してあきらめることをしませんでした。

どんな不利な状況に陥ろうと、仲間に避難されることになろうと、土方歳三は近藤勇と誓った「信義」の下で最後まで戦い抜きました。

その愚直ともいえる姿勢が、現在でも多くの共感を呼ぶのではないかと思われるのです。

近藤勇との絆・信義

試衛館道場以来の盟友である土方歳三と近藤勇。

新撰組時代二人は「局長」「副長」と呼んでいましたが、プライベートでは「とし」「としさん」そして「近藤さん」と呼び合っていたといわれています。

これは、近藤勇の書簡で、土方歳三のことを「歳が…」と記していることから、かなり親密な関係であったことがうかがわれます。

新撰組時代、土方歳三は局長である近藤勇を立てて、憎まれ役は自分が引き受ける覚悟を持って「鬼の副長」であり続けました。

新撰組、そして近藤勇が局長としてトップにいるためには、土方歳三がそのような汚れ役を引き受けることが必要だと踏んだのではないかと思われます。

近藤勇が流山で捕縛された後、土方歳三は助命嘆願に奔走しました。

そして近藤勇にはあくまで生き抜くようにと言ったとされています。

しかしそれが叶わず近藤勇は斬首、その時土方歳三は号泣するも、戦い続けることを決断しました。

親友・近藤勇との別れの後、土方歳三は「鬼の副長」ではなく、包容力のある指揮官に変わったと言われています。

そういった土方歳三の真っすぐな気持ちも、魅力の一つかと思われます。

端正な顔立ち・下手な俳句・激しい闘争心

よく目にする土方歳三の写真は、亡くなる数日前に撮られたものです。

それを見てもわかるように土方歳三は端正な顔立ちで、女性たちからの人気を集めていました。

しかしその容姿でありながら「鬼の副長」と呼ばれたほどの冷徹な行動、そのギャップに魅力を感じる人も多いのではないかと思われます。

また、土方歳三は歌を詠むことは好きでしたが、実はあまり上手でなく、その微笑ましさも土方歳三の魅力の一つだと考えられます。

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