「今宵の虎徹は血に飢えている」
これは新撰組局長近藤勇が、戦いの際に使った言葉として有名です。
ここではこのセリフが本当だったのか、また近藤勇の剣術や愛刀とされている虎徹についてご説明します。
「今宵の虎徹は血に飢えている」
結論から言いますと、このセリフは芝居や映画、特に講談で使用されたフィクションです。
現在作られている新撰組の映画やドラマでは、そういうセリフが使用されていないこともあり、講談などが娯楽の中心であった時代にはこのようなセリフが好まれたとされています。
幕末当時でも国宝級とされる名刀長曽祢虎徹を、近藤勇が所持していたということに関しても疑問が残っています。
相当高価な品物だったことから、大名ですらなかった新撰組時代の近藤勇が長曽祢虎徹を所有していたということにはかなり疑問が残るのです。
子母澤寛「新撰組始末記」によると、長曽祢虎徹について3つの説があります。
1.将軍家から賜った
2.新撰組・斎藤一から譲り受けた
3.新撰組のスポンサーであった、鴻池善右衛門から貰った
いずれも確かな裏付けがないので、信憑性の確認は現在でも難しいとされています。
また、養父に「虎徹だったから助かった」などの内容の手紙が送られたとされていますが、これも本当だったかどうかは不明です。
長曽祢虎徹とは
長曽祢虎徹は、近江(今の滋賀県)の長曽祢興里(ながそねおきさと)という刀鍛冶によって作られました。
長曽祢興里は元々甲冑作りをしていましたが、後に刀鍛冶へと転職した刀鍛冶です。
他にも、井伊直弼や勝海舟なども長曽祢虎徹を愛用していたとされています。
長曽祢虎徹は20年ほどの間に150振り作られたとされており、人気があるゆえに偽物も多く出回っていたともいわれています。
現在では、その150振りのうちの5振りが重要文化財に指定されています。
長曽祢虎徹の特徴は、反りが浅く強度が抜群とされ、実戦的な刀だとされています。
近藤勇の剣術の腕前は?
近藤勇は天然理心流の4代目宗家を襲名し、試衛館道場主でもあったことから、相当の使い手だったことは間違いないと考えられます。
新撰組の中で一番強かったのは、沖田総司・永倉新八・斎藤一らの名が上がりますが、その中でも一番とされる沖田総司は近藤勇のことを敬愛し尊敬しています。
本気でやりあったら、近藤勇よりも沖田総司の方が強かったともいわれていますし、他にも強かった隊士も存在しました。
しかし、近藤勇の強さというのは、池田屋事件などの激戦で先頭で踏み込んで、自分ではほとんど傷を負わずに何人も斬ったというところにあるのではないかと思われます。
つまり、近藤勇の剣術はまさに天然理心流の剣術そのものの、実戦的な剣法だったのではないかと推測されるのです。