激動の幕末を駆け抜けた新撰組隊士たちの末裔は、現代でも存在されています。
ここでは近藤勇をはじめ、主だった新撰組隊士達の子孫が現在どうされているのかをご紹介します。
近藤勇のご子孫は?
近藤勇は万延元年(1860年)に、清水徳川家の家臣である松井八十五郎の長女つねと結婚します。
近藤勇と妻・つねの間には「たま」という一人娘がいました。
たまは、明治9年に宮川勇五郎を婿にとり、勇五郎は近藤姓をついで近藤勇五郎と名乗りました。
その後久太郎という男児を産みましたが、25歳で亡くなっており、久太郎も日露戦争で戦死してしまいます。
こうして近藤勇の直系の子孫は絶えてしまいました。
ちなみに、たまを亡くした勇五郎は後妻を迎え、その間に生まれたお子さんの子孫が近藤姓を名乗っています。
近藤勇には他にも妾腹の子供が数人いたと伝えられています。
京都の芸妓に産ませた男子は、早くに出家して仏門に入ったことから子供はいませんでした。
また深雪太夫の妹のお孝との間にも娘が生まれ、芸妓になったという話も伝えられています。
そして大陸に渡り韓国人男性と結婚して子供ももうけた、という話もありますが、確証はありません。
近藤勇の末裔に関して、現在近藤勇の子孫とされているのは、近藤勇の実家である宮川家の方々ということになります。
宮川家の血脈は現在にも受け継がれており、現在では宮川清蔵氏が天然理心流9代宗家となって活動されています。
その他の新撰組隊士達の末裔は?
土方歳三は生涯独身でしたので、子供がいませんでした。
土方歳三の兄の喜六の子孫は、現在も日野で「土方歳三資料館」を運営されています。
沖田総司も結婚していなかったために、直系の子孫はいません。
恋人との間に娘がいたという説もありますが、その娘も幼くして亡くなったとされています。
現在の沖田家の子孫というと、姉のミツの子孫のことをいい、現在も沖田家は続いています。
明治維新後藤田五郎と改名した斎藤一は、会津藩主・松平容保の媒酌で高木時尾と結婚、三男に恵まれました。
斎藤一の曾孫(長男の長男の長男)の藤田太郎氏は、現在でも新撰組や斎藤一に関する講演などをされています。
永倉新八は戊辰戦争後、故郷である松前藩に帰参し、その後北海道に移住しました。
そこで藩医の婿養子となって杉村治備となり、杉村家は現在も北海道におられます。
斎藤一の妻時尾や永倉新八は、明治になってから新聞の取材などで新撰組のことを語った記録が残っています。
他にも、伊藤甲子太郎、島田魁、原田左之助らは、直系のご子孫がおられます。
藤堂平助は若いうちに油小路で斬られ末裔はいないとされ、また山南敬助も生涯独身で隠し子の話も残っていません。