土方歳三の生家跡地の資料館に残る興味深いものとは?

新撰組副長・土方歳三は、天保6年(1835年)武蔵国多摩郡石田村で生まれました。

ここでは、土方歳三の生家と、生家跡で運営されている「土方歳三資料館」をご紹介します。

武蔵野国多摩郡で生まれた土方歳三

現在の東京都日野市石田で生まれた土方歳三は、10人兄弟の末っ子です。

土方家は多摩の豪農でしたが、父親は歳三が産まれる3カ月前に亡くなっており、母も歳三が6歳の時に亡くなりました。

長兄の為次郎が盲目だったために、次兄の喜六とその妻のなかによって育てられました。

歳三は14歳から24歳くらいの10年間は奉公に出ていたとされていますが、その後は浪士組として京都に行くまで実家で生活していたと伝えられています。

厳密に言うと、土方歳三が生まれたのはここではなく、近くの浅川と多摩川の合流地点に本当の生家がありました。

しかし、天保11年の洪水で屋敷が流されてしまい、現在「土方歳三資料館」のある場所に引っ越したとされています。

土方歳三資料館

平成2年、土方歳三の生家が建て替えを機に、土方歳三のご子孫がご自宅の一室を開放して資料館として公開されました。

平成17年にはリニューアルされ、広さも3倍となり展示物も新たに増えました。

館長は、土方歳三の末裔である土方愛さんで、土方歳三の姉夫婦のご子孫です。

庭先には、土方歳三が武道を志した時に自ら植えた矢竹があり、また少年時代に風呂上がりに相撲の稽古をしていた旧家屋の大黒柱が梁にあしらわれています。

資料館で展示されている土方歳三の遺品

土方歳三資料館には七十点以上の興味深い土方歳三の遺品が展示されていますが、最も興味深いものは歳三の愛刀「和泉守兼定」です。

11代和泉守兼定は京都守護職・会津藩主の松平容保から授かった、土方歳三最後の佩刀です。

五稜郭での歳三最後の戦いまで運命を共にしたこの刀には、相当の刃こぼれが見られ、当時の戦いの激しさを伝えるものとなっています。

この和泉守兼定は、日野市の市指定有形文化財になっており、期間限定展示になっています。

他にも、歳三が池田屋事件の時に使用した鎖帷子、八月十八日の政変の時に使用した鉢金、歳三が稽古の時に使った天然理心流木刀など、歳三が実際に使った貴重な防具なども公開されています。

また、直筆の書簡、発句集、歳三の人となりを詠んだ榎本武揚書の額などの興味深い資料も残されています。

また、土方歳三も行商したとされる土方家伝来の石田散薬に関する資料や、調合したとされる道具や販売道具なども見どころの一つです。

土方歳三資料館は開館が不定期になっているので、お出かけの際は開館日を確認してから行かれることをお勧めします。

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