新選組の結成理由と結成日

幕末の京都で活躍した剣客集団・新撰組。

新撰組とはそもそもどういう理由で結成されたのか?そしてその結成日はいつなのかを詳しくご説明します。

新撰組の結成理由

幕末の京都は、各地から集まった尊王攘夷・討幕運動の志士たちの問題行動で、治安が大変乱れていました。

そして、従来から京都の治安維持に当たっていた、京都町奉行と京都所司代だけでは手に負えない状況になってしまったのです。

文久2年(1862年)江戸幕府は、庄内藩郷士である清川八郎の献策を受け入れ、時の将軍である徳川家茂の上洛を警護する名目で、江戸で浪士を募集しました。

翌文久3年2月、約200名の浪士たちが集まり、将軍に先駆けて浪士組として中山道を西上、京都に向かいます。

しかし京都に到着後、清川八郎の本当の目的が発覚しました。

清川八郎の目的とは、勤王勢力と通じて浪士組を天皇のための兵力とすることでした。

これに対して、あくまでも将軍警護を目的として浪士組に参加した近藤勇らは反発し、京都残留を決めました。

そして浪士組の一部は江戸に戻り、「新徴組」として江戸で幕府警護にあたることになります。

京都に残留した近藤勇ら浪士組は、京都郊外の壬生村に屯所を構え「壬生浪士組」を結成、京都守護職・松平容保の下、京都での不逞浪士の取り締まりや京都市中警備を任されることになります。

その後、その働きが評価され新しい隊名「新撰組」を松平容保より拝命しました。

新撰組結成日

新撰組の結成日は、どこを基準にするかで変わってきます。

・江戸で浪士組を結成したのは、文久3年(1863年)2月8日

・壬生浪士組を結成したのは、文久3年(1863年)3月12日

・松平容保から「新撰組」を拝命し、改名したのは、文久3年(1863年)9月25日

(ただし、この日付についてはいくつかの説があります。)

純粋に「新撰組」が誕生した日という前提であれば、9月25日とするのが妥当かと思われます。

新撰組の日は二つ存在する

一般的に、2月27日が「新撰組の日」と制定されています。

これは、新撰組の前身である浪士組が結成された日というよりも、結成されたのは2月8日で、浪士組が江戸から京都へ出発した日付けが2月27日だったという説が有力です。

後に新撰組となる浪士組が、最初の第一歩を踏み出した2月27日を、新撰組の日と制定したのです。

そして「新撰組の日」は、もう一つあるのです。

それは、東京都日野市観光協会によって制定された3月13日です。

文久3年(1863年)3月13日に、新撰組の前身である壬生浪士組に、京都守護職・松平容保から会津藩預かりとする旨の連絡が入ったということから、この日を新撰組の日としました。

東京都日野市は、土方歳三らの出身地であり新撰組の故郷ということで、新撰組ゆかりの地として市全体の活性化を目指しているとのことです。