現在でも新撰組隊士達の血を引くご子孫の方は、様々な場所で活動されています。
ここではそのご子孫の方たちがどんな活動をされているのか、そのうちの何名かについてご紹介します。
近藤勇のご子孫
近藤勇は、天保5年(1834年)に武蔵国多摩郡上石原村の百姓・宮川久次郎の三男として生まれ、幼名は勝五郎、そして後に勝太と改めます。
近藤勇は天然理心流剣術道場・試衛館に入門、天然理心流宗家三代目の近藤周助の下で剣術の腕を磨きました。
後に、師匠である近藤家に養子に入り、天然理心流宗家四代目・近藤勇と名乗ります。
そして清水徳川家の家臣・松井八十五郎の長女であるつねと結婚、つねとの間に長女をもうけました。
近藤勇の処刑後、近藤勇の長兄である宮川音五郎の次男・勇五郎が近藤家の養子に迎えられ、近藤勇の長女・たまは、この近藤勇五郎に嫁ぎ長男久太郎を出産しました。
その後、たまは25歳で亡くなり、久太郎も明治38年に日露戦争で戦死し、近藤勇の嫡流子孫は絶えてしまいました。
近藤勇の生家である宮川家は現在も農家を営んでおり、子孫で「勇武館」を主宰する宮川清蔵氏が、天然理心流宗家九代目となって、現在でも天然理心流の心得と剣術を教えられています。
宮川清蔵氏は、大河ドラマ「新撰組!」の天然理心流指導もされており、スタッフロールにも名前を連ねておられます。
土方歳三のご子孫
土方歳三も近藤勇と同じく武蔵国多摩郡の豪農出身で、10人兄弟の末っ子でした。
土方歳三は生涯独身で、子供はおらず嫡流の子孫は残っていません。
土方歳三の兄(次男)の喜六の「来孫(孫の孫の子)」の土方愛さんという方が、現在でも土方歳三の生家におられます。
その土方愛さんは、その土方歳三の生家を「土方歳三資料館」として一般公開されています。
土方歳三資料館には、土方歳三が実際に使用した刀「和泉守兼定」や池田屋事件の時に着けていた防具など、興味深い品々が展示されています。
他にも土方愛さんは、土方歳三資料館の館長として、様々なイベントに参加されたりして、現在でも新撰組と土方歳三の心を伝えています。
斎藤一・永倉新八のご子孫
斎藤一は、妻・時尾との間に3人の男子がおり、大正4年に胃潰瘍で死亡するまで穏やかな晩年を過ごしました。
斎藤一の長男の長男の長男、つまり直系の曾孫が藤田太郎さんという方で、現在でも斎藤一についての講演などをされており、斎藤一の人となりなどを語り継いでおられます。
永倉新八も戊辰戦争を生き残り、後に「新撰組回顧録」などを遺し、近藤勇や土方歳三らの墓を建立し、新撰組の顕彰に尽力しました。
永倉新八は明治以降、松前藩医の娘と結婚し杉村姓となりました。
ご子孫はその杉村家の血筋として、現在も曾孫の方が各方面で活躍されています。