「誠」の名のもとに勇名をはせた新撰組、そして新撰組には個性的な隊士たちが集まっていました。
ここではその中でも有名な3人の、ちょっと笑える逸話をご紹介していきます。
局長・近藤勇に関する逸話
近藤勇は、武士道・剣術一筋というような武骨なイメージを持つ方が多いと思われますが、普段は割と愛嬌があってニコニコしているような人物だったと伝えられています。
自分の拳骨を口の中に入れることができるという特技を持っており、それは戦国武将・加藤清正を尊敬しており、加藤清正のように出世したいと笑いながら話していたとされています。
また近藤勇は妻であるツネと一年ほどしか一緒に住んでいませんでしたが、生涯ツネのことを思い続けました。
その妻に、「隊の中で衆道(男性同士の恋愛)が流行り出して困っている」という手紙を書いたことがあります。
食べ物に関しては、近藤勇は甘党で大食漢であったとされ、とろろ飯を19杯食べたことがあるという逸話も残っています。
「鬼の副長」と呼ばれた土方歳三に関する逸話
新撰組の中でも「鬼の副長」と恐れられた土方歳三は、残された写真を見てもわかるようにオシャレで美男子、非常にモテたといわれています。
試衛館で剣術の稽古をするときには、目立つように赤い紐を常に巻いていました。
また、同性からも「モテてしまった」こともありました。
故郷の知人に、いかに自分がモテたのかという手紙を送ったとも伝えられています。
土方歳三は辛党で、好物は沢庵でした。
知り合いの橋本家から、沢庵を樽ごと持って帰ったこともありました。
お粥に沢庵を細かく刻んだものを乗せて食べるのが大好きで、これは新撰組隊士達もよく食べていたとされています。
土方歳三は「豊玉」という名前でよく俳句を書き、恋の詩が多かったとされていますが、実はあまり上手ではなかったという評価がされています。
字もあまり上手ではなく、女性が書いたような小さな字であったと伝えられています。
ちなみに達筆だったのは沖田総司、伸びやかできれいな字を書くと賞されていました。
また、土方歳三は呉服屋に奉公していたせいか、布をハサミで切ることが大変上手でした。
天才剣士・沖田総司に関する逸話
沖田総司は小説やドラマでは薄命の美男子として、色白の華奢なイメージで描かれていることが多いのですが、実際の沖田総司に関してそういった記述はありません。
また肺を病んでいて、池田屋事件で喀血したとされていますが、そのことについてはどの文献や口伝にも出てきていません。
新撰組に関わった人物の証言として、沖田総司は普段は明るく実に穏やかな青年で、近所の子供達とよく遊んだり冗談を言ったりしていたとされています。
また容姿については、「笑うと愛嬌がある」「肩の張った」「長身」「色黒」というように、病弱で色白というイメージとは程遠いものとなっています。
沖田総司は「天才剣士」と呼ばれたように、剣の腕前は確かだったようで、新撰組内や敵対していた組織の人間からも絶賛されています。
沖田総司は試衛館時代もトップクラスの実力だったにもかかわらず、奢ることはなく特に近藤勇に対しては常に「先生」と呼んで敬愛していました。