新撰組の中で、暗殺された人物とは?そしてその理由は?

新撰組といえば隊規が厳しかったことで知られており、隊の規律を犯した者には粛正が待っていました。

ここでは新撰組の中で、粛清と称して暗殺された人物についてご紹介します。

新撰組隊規とは

新撰組の隊規は「局中法度」と呼ばれており、それは局長であった近藤勇が真の武士として守るべき規律として定めたものです。

1.士道に背くこと
2.局を脱すること
3.勝手に金策すること
4.勝手に訴訟を行うこと
5.私闘をすること

この5か条は、この規律に背いた場合は切腹という、例外を一切認めない厳しいものでした。

この規律は局長である近藤勇が定めたものと伝えられていますが、実際には「鬼の副長」と呼ばれた土方歳三が考案したものだともいわれています。

実際、規律を犯した者への処分は、主に副長である土方歳三が行いました。

その理由は、局長である近藤勇がそれを行うと、隊士たちの心が近藤から離れてしまうことを危惧した土方歳三の心遣いだったのではないかといわれています。

この5つの隊規はとても簡潔でわかりやすいものですが、考えようによっては具体性に欠けるとも思われます。

「士道に背くこと」とは、具体的には一体どういうことなのかなど曖昧な部分も多く、身に覚えがないのに、規律に背いたとして粛清された隊士も多いと伝えられています。

実際に、この隊規に嫌気がさして脱走し、最終的には切腹させられた隊士もいました。

新撰組内で粛正(暗殺)された隊士

実は、隊規に背いたとして粛清された隊士は大勢います。

新撰組創世期、近藤勇・土方歳三体勢を作り上げる過程で粛清された隊士で有名なのは、芹沢鴨・新見錦などです。

二人とも新撰組発足当時からの隊士で腕もたつ人物でしたが、あまりにもやりたい放題で、隊規の「2.局を脱する」以外の違反を数多く行っていました。

特に芹沢鴨は、新撰組の前身である壬生浪士組で近藤勇とともに局長を務めたほどの人物でしたが、酒癖が悪く乱暴者で、金の無心を断った豪商を襲撃するなどの狼藉も数多く行っていました。

他にも隊規違反が発覚した隊士は、例外や理由は関係なく、切腹させられたり暗殺されたりしました。

取り調べのようなこともほとんどなく、言い訳も一切通らなかったと伝えられています。

新撰組の中でも文武両道に長けた山南敬助は、この隊規に嫌気がさして脱走、その後切腹させられました。

山南敬助と土方歳三は仲が良く、新撰組の中でも幹部だった山南敬助までも、規律違反として容赦なく粛清されたのです。

行き過ぎともいえるこの厳しい処遇は、元々武士でない荒くれ者たちの集まりともいえる新撰組をまとめるのには必要だったと、近藤勇や土方歳三は考えたのではないかと思われます。

そして、このように厳しい規律を設けないと、幕府を守る京都守護職としての立場を保つことができないという背景もあると推測されます。

また、局長の近藤勇は「武士道」というものに重きを置く人物でしたので、それに背くものは許せなかったという見方もできます。

驚くことに、実際に新撰組が任務のために殺した人数よりも、内部で粛清した味方の方が数が多いという話も残っています。

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