新撰組の若き天才剣士・沖田総司は3本の刀を持っていたといわれています。
ここではその3本の刀について詳しくご説明します。
菊一文字則宗
沖田総司の愛刀として一番有名なのは、この菊一文字則宗です。
子母澤寛の「新撰組始末記」で、沖田総司の愛刀は「菊一文字の細身のつくり」とあるから広まりました。
しかし則宗作の刀は非常に貴重で高価だったと伝えられており、実際に沖田総司が所持していたとは考えにくいという説もあります。
菊一文字則宗と沖田総司の間にはこんなエピソードがあります。
沖田総司は、懇意にしていた刀屋・播磨屋道伯の自慢の太刀を鑑賞することになりました。
その刀は二尺四寸二分、細身で腰反り高く、刃文は一文字丁字、そして乱れは八重桜の花びらを並べて露を含ませたように美しかったといわれています。
沖田総司はその刀が菊一文字則宗だということに気づきましたが、とても手が出る額ではなかったのであきらめたのですが、刀屋の道伯は他の人には大金を積まれてもその刀を売りませんでした。
土方歳三が沖田総司のためにその菊一文字則宗を購入しようとしたのですが、道伯に一万両という値をつけられ、土方歳三はさすがに返事に困りました。
実は道伯は沖田総司を大変気に入っており、沖田総司が腰にさすのであれば譲るということでした。
そして沖田総司は菊一文字則宗を手に入れることができ、あまりの名刀ぶりに、人を切るのに使用できなかったともいわれています。
大和守安定
沖田総司がどういう経緯でこの刀を手に入れたかは不明ですが、菊一文字則宗に比べれば一般的な刀なので、良業物ではありましたがこの刀を愛用していたという話には現実味があります。
大和守安定は、近藤勇が使用していた長曽祢虎徹に似ていたとされ、近藤勇を敬愛する沖田総司はその影響を受けて大和守安定を差していたと考えられます。
菊一文字則宗は鎌倉時代に作られたものですが、この大和守安定は江戸時代に作られました。
大和守安定は、武蔵国の刀工の作品で当時は最先端の刀であったとされています。
加州清光
菊一文字則宗、大和守安定、そしてもっとも初期に所有していたとされているのがこの加州清光です。
沖田総司が加州清光を差していたことで有名なのは池田屋事件です。
池田屋事件での激戦で、沖田総司の加州清光の刃先が折れたと伝えられており、鍛冶屋に修復不可能と断られたといわれています。
沖田総司が愛用したのはこの3本の刀だといわれています。
菊一文字則宗は沖田総司の死後、姉のミツの元に渡り、どこかの神社に納められたともいわれていますが詳細は不明です。
大和守安定も、沖田総司が使用したとされる実物は現存していません。
刃先の欠けた加州清光も、残っていたら大変貴重なものとなったのですが、これも現存していません。
残念ながら池田屋事件以後、修復不可能ということで破棄された可能性が高いものとされています。