京都での新撰組ゆかりの観光スポットとは

千年の都「京都」は、新撰組が勇名をはせた場所としても有名です。

当時は日本の中心地であった京都、ここでは京都での新撰組ゆかりの観光スポットをいくつかご紹介します。

新撰組の誕生の地・壬生村

江戸で結成された浪士隊がまず駐屯したのは、京都西郊の村落である壬生村でした。

壬生村の郷士・八木家の邸宅に浪士隊が寄宿し、そこで新撰組が結成されました。

この八木邸は芹沢鴨暗殺の間も残されており、現在でも多くの観光客が訪れています。

八木邸は幕末時代の遺構として、また新撰組ゆかりの地として大変貴重なものとなっており、昭和58年には京都市指定有形文化財に指定されました。

八木家は現在和菓子屋を営んでおり、見学料を払うと、抹茶と屯所餅が振舞われ内部を見学することができます。

また近くの壬生寺も新撰組ゆかりの地です。

壬生寺の境内は新撰組の兵法の調練所に使用され、武芸などの訓練が行われた場所です。

新撰組と関係が深かった壬生寺の境内には、近藤勇の銅像や、新撰組隊士たちの墓である壬生塚があります。

京都の花街・島原

新撰組隊士達は、壬生から徒歩で行ける島原の花街によく出かけて酒宴を催しました。

「島原」というと、小説やドラマなどのイメージもあって「妖艶な大人の遊び場」と思われがちですが、実際は少し違うものでした。

江戸の吉原のような「遊郭」ではなく、島原は老若男女が楽しめるお店もたくさんあったのです。

吉原には遊女がおり男性だけが楽しむ街ですが、島原は食事や酒宴を催す場所として賑わいを見せていました。

「置屋」は太夫や芸妓を抱えて、芸を教える場で、「揚屋」は現在の料亭のような場所で、新撰組隊士達は島原のお茶屋や揚屋で、お酒を飲み憂さを晴らしていました。

島原には「角屋」という揚屋があり、当時の揚屋建築が残されていて見学もできるようになっています。

「角屋」は昭和60年まで営業もしていましたが、現在では「角屋もてなしの文化美術館」として、お座敷や美術品などが展示されています。

池田屋跡地には何が?

京都にはご紹介できないくらい、新撰組ゆかりの地が存在します。

西本願寺・二条城などの有名観光地は見学する価値はもちろんありますが、新撰組を一躍有名にした「池田屋事件」の現場も一度は訪ねてみたいスポットとなっています。

実は池田屋は、池田屋事件後取り壊されて、その後何度か改築され現在では居酒屋になっています。

店頭には池田屋と描かれた大提灯が掲げられており、店の内部はとことん新撰組にこだわった作りになっています。

2階の客席は、京町屋のような造りになっており、メニューも新撰組にちなんだものが出されています。

店の前には「池田屋騒動之址」の石碑が立っており、幕末当時の面影をわずかに残しています。

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