新撰組で有名な池田屋、階段落ちは本当にあったのか?跡地には何が?

新撰組といえば池田屋事件が有名です。

ここでは、その池田屋事件での逸話の一つ「階段落ち」は本当にあったのか、そして現在池田屋跡はどうなっているのかをご紹介します。

時代劇で有名になった階段落ち

近藤勇を先頭に池田屋へ踏み込んだ新撰組は、京都大火などの密談中の長州藩士らと斬り合いになり、見事に勝利します。

池田屋事件は、池田屋事変・池田屋騒動ともいわれており、近藤勇の書面では「洛陽動乱」と記されています。

この池田屋事件自体は史実に基づくものですが、そこでの逸話の数々はかなり脚色された部分が多いと思われます。

この中で一番有名なのは「階段落ち」。

近藤勇ら新撰組は、長州藩士たちが池田屋の二階で密談をしているとして階段を上り、斬りかかってきた相手を次々に斬り倒しました。

そして斬られた相手は次々と階段を転がり落ちるという場面は、時代劇などで一番の見せ場です。

しかし伝えられている史実や残された写真を考察すると、当時の池田屋はそれほど大きくなく、階段も狭いものでした。

階段は小さく急こう配で、とても次々と人が転がり落ちるほどの余裕はなかったと思われるのです。

また、激闘であったことは確かですが、ずっと斬り合っていたわけではなく、ほとんどはお互い様子を窺う時間が多かったのではないかという考察もされています。

池田屋というのは市街地に建った普通の規模の旅館ですから、時代劇のような派手な斬り合いは、かなり脚色されたものと受け止めるのが正解かと思われます。

その後の池田屋、そして池田屋の跡地には現在何が?

池田屋事件後、攘夷志士たちをかくまっていたとして主人の池田谷惣兵衛が捕縛され、後に獄死しました。

池田屋は7か月間の営業停止の後、親類らによって近所で営業を再開しましたが、後に廃業し現存していません。

元の池田屋は、別の経営者の手によって「佐々木旅館」として営業を続けていましたが廃業しましたが、1960年頃までは当時の建物はそのまま残っていました。

しかしその後取り壊され、跡地はテナントビルとなって、飲食店やパチンコ屋などになりました。

そして現在は、「海鮮茶屋・池田屋はなの舞」という居酒屋になっています。

この居酒屋は、新撰組と当時の池田屋を意識した内装になっており、大きな階段も作られています。

それほど大きくはない店ですが、外装やメニューにも新撰組にこだわった工夫が凝らされ、新撰組ファンなら一度は訪れたい場所となっています。

また店の脇に「池田屋騒動之址」という史跡を示す石碑もあり、それは佐々木旅館の縁者が建立したものです。