新撰組ゆかりの地は全国各地にありますが、ゆかりの地である京都に興味深い資料館があります。
ここでは、その資料館と新撰組ゆかりの観光スポットをご紹介します。
先覚者のこころを後世に伝える「霊山歴史館」
霊山歴史館は、幕末から明治維新期の歴史を総合的にとらえて研究する博物館として、昭和45年京都市東山区清閑寺霊山町に開館しました。
新撰組関連はもちろんのこと、幕末に活躍した人物に関する資料を、討幕派・佐幕派双方からの視点で見ることができます。
霊山歴史館には、新撰組をはじめこの時代に活躍した志士、大名、天皇のほか、文人や画家などの各種資料が公開展示されています。
新撰組関連では、二番隊伍長の島田魁が書いた「新撰組隊士名簿」や「新選組袖章」「近藤勇鎖帷子」など、ぜひ見てみたい館蔵品がたくさん展示されており、また研究も続けられています。
霊山歴史館以外にも京都には、以前下京区五条通に「新撰組記念館」という個人で経営されていた博物館がありましたが、残念ながら現在では閉館しています。
新撰組ゆかりの地を巡る観光スポット
新撰組が京都に屯所を構えた壬生周辺には、新撰組ゆかりの地がいくつも存在します。
阪急京都線「大宮駅」、または京福線「四条大宮駅」から徒歩約5分に、新撰組隊士達が眠る「光縁寺」があります。
新撰組の馬小屋が当時の光縁寺の門前にあったことから隊士達との親交があり、特に山南敬助が同い年の住職と仲が良かったことから、山南敬助切腹後ここ光縁寺に埋葬されたといわれています。
現在でも100円の隊士供養料を払って、お墓を参拝することができます。
光縁寺からすぐ近くに、隊士の砲術や剣術の場所とされた壬生寺があります。
境内には新撰組隊士の墓「壬生塚」があり、芹沢鴨らの墓があり、近藤勇の胸像があることで有名です。
新撰組発祥の地、最初に屯所を構え宿舎にした「八木邸」もすぐ近くにあり、邸内は基本撮影禁止になっていますが見学はできます。
壬生邸邸内には、芹沢鴨粛清の場としても有名で、現在でも芹沢鴨がつまづいたとされる文机や鴨居に残る刀傷などが残っています。
壬生邸は、昭和58年に京都指定有形文化財に指定されました。
光縁寺・壬生寺・八木邸は近接しているので、徒歩で回ることができます。
京都には池田屋跡や七条油小路辻、また隊士達が通った島原の花街など、新撰組ゆかりの地が各地にあります。
当時の姿がそのまま残されている場所も多く、新撰組ゆかりの地を訪ねながら幕末に思いを馳せてみてください。